香雲堂吟詠会
 三代宗家 瓜生田山櫻

 こんにちは。
一昨年、父二代宗家のあとを引き継ぎ
三代宗家瓜生田山櫻を襲名いたしました、松原理櫻です。
亡母、櫻光の代わりとして二十年間宗範を努めて参りました。
体力的な面から「そろそろ引退したい」という先代の意向により、
平成三十年五月に襲名の運びとなりました。知識も技量も人柄もオールマイティの父の後を継ぐには、些かどころか大変な重圧でございます。
が、「引退後は会長旭山櫻として貢献したい」と言う言葉に後押しされ、いつでも相談に乗ってもらえるという安心保証付きでしたので、「見習い・実習・仮免」ならばと引き受けた次第です。
 門前の小僧ならぬ「階前の孫」。
家では家族みんなが詩吟を詠う、と言うわけで、幼児の頃から詩吟というものには違和感なく育ってきました。
三十年前熊本に戻ってきましてからは、父からの個別学習!で詩吟の壱から鍛え直され、また、若い頃には難しいばかりだと思っていた「漢詩」の楽しみもすこしづつ感じるようになりました。

 今、吟詠人口は激減しています。
とはいえ、それぞれに詠い方の違いはあっても「吟詠」を楽しん頂いている方々がいらっしゃいます。大仰にいえば、吟道は日本の伝統文化ではありますが、誰もが楽しめる庶民文化でもあります。吟詠は「詠って・聞いて・読んで」年齢に関係なく、一人でも、たくさんの仲間とでも、そして何より、道具もいらず、体さえ健康であれば誰でも楽しめるものです。
この楽しみを、これからも皆さんに知って頂きたい。一緒に楽しみたい。

 永年保証だと思っていた父が、昨年九月に急逝いたしました。
上り階段の手すりが突然外されたような戸惑いがあります。でも、皆さんと詠うのが楽しい!お会いするのが楽しい!詩の中にある無限の想像の世界は本当に楽しい!
これからも、全国の会員の皆さんに「前引き後押し」をお願いしながら、
大好きな香雲堂の吟詠を守り、繋げていきたいと心に誓っております。
どうかよろしくお願いいたします。

                       令和二年四月

                  
                             

「月下、美人来る」。かの徳富蘇峰翁から、そう称された初代宗家瓜生田山櫻。
昭和十年、その蘇峰翁や安達漢城先生の応援を得て立ち上げたのが「香雲堂吟詠会」です。
美形、美声、太っ腹の肥後猛婦。器用で人なつっこいその性格で、多くの人々を魅了してきました。

二代宗家は、その志を受け継いだ長男。初代の吟詠をより多くの人に広めたいという思いから、「節調」を統一し、より多くの漢詩を積極的に取り入れました。
美形、美声は初代譲り。カンツォーネもこなす豊富な声量と歌声、優しい物腰は
は、感動的な響きで男女を問わず愛されました

非常にパワフルな人物でした。
一日で着物を縫い上げたり、相撲をみながら炬燵の足をばきんと折ったり。逸話は追々紹介します。

先ほどもご紹介したように、その能力と、美声で一世を風靡したと言っても過言ではないかと思います。
時代の寵児だった、徳富蘇峰や、安達漢城に後押しされ、日本の伝統芸能である吟詠に磨きをかけた、そんな感じです。
誰でも受け入れる抱擁力、馬鹿なことは決して受け付けない精神力。そして、描いた眉毛が汗で無くなっても、ワハハと笑えるおおらかさ。
本当に、素敵で、綺麗な女性でした。

初代宗家が大きく広めてきた香雲堂吟詠を、分かり易く系統立ててきたのが、現宗家、二代山櫻です。

曖昧だった節調を、楽譜にし、見える形で統一し、吟詠がより分かり易く、初めての人にも、また、指導する人にも、より良いものにする。

言わば「守成の勇」でしょうか。トレーナーを取り入れたり、漢詩教室を始めたのも、そういう思いからだと聞いています。

 「三楽の楽しみ」 これが二代宗家のモットーです。
・一に漢詩を詠じる楽しみ。大きな声を出すこと。体にとって良いこと間違いなし。

・二に漢詩の中身に触れること。先人の思い、季節の移ろい、感じるほどに心が豊かになります。

・三つ目は、会員さんたちとの触れあい。吟詠の発表を終わった後の、人と人との触れあい。
盃を交わし、談笑する。これが最高!

令和元年 9月21日八十六歳にて逝去


二代宗家の長女(理子、理櫻) 
兄・健(故人)妹・瀨﨑明子(明桜)妹・馬場陽子(火桜)
平成元年より香雲堂吟詠会の仕事に携わる。
平成十三年亡母・桜光の後を受け宗範及び、熊本中央本部櫻光会会長となる。
その傍ら、二十年に亘り熊本県・熊本市の療育事業にも携わる。
 吟を始めたのは三歳頃。兄とともに温習会デビュー。
舞台の机に背が届かず「見えん!」見台掛けを勝手にめくって出てきて吟じた(ツワモノ)。
小学校の頃は、日曜午後八時から初代の本格的なお稽古に参加。半分は舟をこいでいたらしいが…。その頃初代がつけてくれた赤鉛筆書きの節調が旧教本に残っている。
十~二十代の頃はもっぱら洋楽コーラス活動 。吟も歌も譜面に起こすのは得意技。伴奏トレーナーの譜表はほとんど手作り。
只今二人の息子(34,36)と、香雲堂総本部と隣り合わせの自宅に住む。
ドクターストップで禁酒中(ワハハ)のイノシシ年 61歳(R2.現在)

初代瓜生田山桜は、徳富蘇峰氏と深い交流がありました。
そのため、香雲堂創設の際には本会の顧問となっていただき、また吟詩にあたっての「虎の巻」として十則をいただいています。この十則は、吟詠の教本に掲載されています。

大正十五年
熊本市坪井にて瓜生田 君子、初代宗家“瓜生田山桜”として「山桜吟社」創設
昭和十年
安達漢城先生より「香雲堂」と命名
香雲堂吟詠会創立
昭和十三年
吟詠集初版刊行
昭和二十五年
徳富蘇峰先生の髪塚を熊本市島崎に建立
昭和四十二年
渡米、アメリカ合衆国・カナダ・メキシコにて吟詠講習
以後、昭和五十年、五十四年、六十年に渡米し交歓吟詠大会を開催
昭和五十二年
初代宗家死去
長男 瓜生田 至 二代宗家襲名
昭和六十三年
熊本市黒髪(現在地)に総本部移転
平成三年
吟詠集第二集初版刊行
平成九年
吟詠集第三集初版刊行
平成二十年
吟詠集第四集初版刊行
平成三十年
五月 二代宗家引退 後、会長瓜生田旭山櫻となる
長女 松原 理子(理桜) 三代宗家襲名
令和元年
九月二十一日 二代宗家 死去 八十六歳